第2回 序(2)

そもそも「高見沢主義」とは、高見沢俊彦の思想を、彼のラジオでの発言や歌の歌詞から抽出し、私が勝手にまとめたものである。そこに私独自の考えを組み込んだものは、さらに激しさを増したものであったので、「高見沢主義過激派」としたのだ。このように、高見沢主義は、高見沢俊彦がいわば無意識的に打ち立てている思想を、意識的に受容して人生を生きようとするものである。その意味で、高見沢俊彦は高見沢主義者ではない。その結果、「高見沢主義」を実践している人間はいないことになっている。なお、私は「過激派」なのであって、厳密には「高見沢主義者」ではない。
さて、私がもっとも悩んでいるのは、叙述の仕方である。今のところ、重複をいとわず、個別的な内容について書いていこうと思っている。体系的に述べるといっても、私の頭の中では「ある程度」にしかまとまっていないからだ。人の考えとはそのようなものであるし、それでいい。
では、始めよう。