一般演習・10

まずは「ニートについて」。イギリス政府の対応を紹介し、日本でも、画一的ではなく、もう少し個人に目を向けた、個別的な対応をしたらどうか。ま、そんな事を言っていた。
私見:1.そもそも、イギリスのニートの定義は「16〜18歳で、労働、学習、職業訓練をしない人」であり、日本の定義にはない年齢の要素が加わっている。はたして比較対照してもよいのか。2.政府の対応を批判しているだけだが、問題はそんな小手先のものなのか。つまり、なぜ働く気も学ぶ気もないのかという部分を考えないといけないのではないか。
発表終了後、早速教授が同じ事を質問していた。よって私は発言せず。もっぱら教授と発表者との間のやり取りがあっただけであった。


次に「オタクについて」。確か「アキバ系人間について」だったように思われるが、まぁ、いいか。オタクがどうのこうのと言う内容ではなく、なぜオタクと呼ばれるような人間が生まれるかを述べていた。
オタクといっても、もちろん多種多様であるから、決定的なことは言えないが、一つの原因として、人とのコミュニケーションが取れないことが挙げられるのではないか。まぁ、言いたい事はそれに尽きていたかな。発表時間は長かったけど。
こちらは少し議論していた。時計が残り10分を告げた時、私も手を挙げた。「先程から議論を聞いていると、『社会というのは人間と人間が感情レベルにおいてまでコミュニケートしなければならない』という前提があるように思います。しかし私は、社会とはロール*1を演じる場であると思います。それ以上のものではない。そこに付加価値、つまり人との信頼関係や、自分が思い描く空間があると思っている事、そのものに疑問を持つべきです。人間は1人でも生きていけますよ」
はい、反応なし・・・と思ったら発表者が質問してきた。そう、発表者は彼女なのだ(http://d.hatena.ne.jp/takamiism/20051116に登場)。発表者「つまり、この社会の中で、他人との間に何らかの精神的関係を結ぼうというのが間違いだと?」私「そうです。原点が間違っている。何かがあると思い込んでいるのです。近代社会が生み出したある種の病気と言っていい。この社会が破綻してきている事に対し、この社会が生み出したスタンダードで対処しようとしても、何の解決策も見出せないでしょう。新しく作っていくしかない」
教授は、私のことを「強烈な自我を持った人間」と評した。そういう人間が必要になってくるだろう、とも言った。しかし、やはり多くの人間は生きることに対して何かを見出そうとするものなのだ、とも指摘した。強烈な自我、ねぇ・・・。


来年に一回だけ授業がある。最後のテーマは「犯罪の低年齢化、未成年者の犯罪」と「小中学生の学力低下」の二つ。

*1:=役割