確実性の問題/ウィトゲンシュタイン

図書館から借りた。ウィトゲンシュタインが死の2日前まで記していた考察をまとめたもの。「論理哲学論考」や「哲学的探求」と違い、ほとんど推敲されていないので*1、読みやすい。以下、いつも通り引用する。


「ここにひとつの手があるということを君が知っているのであれば、それ以外のことについてはすべて君の主張を認めよう」(第1節)


「ある種の命題に関しては、その表明に対して疑いを挿む余地がまったくない。われわれの探究の全体がそういう仕組みになっている、と言えないだろうか。それらの命題は、探究が進められる道筋からはずれたところにあるのだ」(第88節)


「すべてを疑おうとする者は、疑うところまで行き着くこともできないだろう。疑いのゲームはすでに確実性を前提している」(第115節)


「私が何かを理解しているということは、私自身の無理解に対して盲目であることを意味するだけではないのか」(第418節)


「これが自分の手であることを私が疑う、あるいはそのことに確信がもてないというのなら(どういう意味で言うにせよ)、なぜこれらの言葉の意味について疑わないのか」(第456節)


「数学における正しい命題と誤った命題の区別をわれわれは学校で学ぶか、それとも或る命題について私が間違えているはずはないと、私が宣言するか。そこにはたしかに相違がある」(第664節)
「あとの場合には、すでに一般的なかたちで確認されていることに、特別な何かを私が付け加えているのである」(第665節)

*1:つまり、同じような文章が何度も登場する