快楽の活用 性の歴史II/ミシェル・フーコー

http://www.shinchosha.co.jp/book/506705/


フーコーの、1984年に出版された著作。
晩年のフーコーのテーマは、「自己への配慮」という言葉に集約できると思われる。この著作では、古代ギリシャの「自己への配慮」を、タイトルである「快楽の活用」として、まとめたもの。
主に、「節制」をテーマとして、身体の養生術・家庭管理術・恋愛術を取り上げている。
そして、「快楽の活用」を支える「エンクラテイア(克己)」、それらを貫く「生存の美学」を、著作の随所で指摘している。
そのほか、哲学史的には、ソクラテスプラトンアリストテレスたちの、「快楽の活用」の観点からの読み直し、として読むことができる。
解説によると、この著作の内容については、81年度のコレージュ・ド・フランスの講義で取り上げているらしい。なお、81年度の講義は、現在未刊である。


「好奇心・・・知るのが望ましい事柄を自分のものにしようと努めるていの好奇心ではなく、自分自身からの離脱を可能にしてくれる好奇心・・・いつもの・・・とは異なる仕方で思索することができるか、いつもの見方とは異なる仕方で知覚することができるか」(15頁)


「『生存の技法』・・・人々は、自分に行為の規則を定めるだけでなく、自分自身を変容し個別の存在として自分を変えようと努力し、自分の生を、ある種の美的価値をになう、また、ある種の様式基準に応じる一つの営みと化そうと努力する・・・この『生存の技法』、この『自己にかんする技術』」(18頁)


「旅は事物を若返らせ、そして自己との関係を熟成させるものだ」(19頁)


「エンクラテイアとは自制であり、緊張であり、『禁欲』である。それは快楽と欲望を統御するが、しかし闘争して勝利をおさめたいと思っている」(80頁)


「養生生活こそは、人が自分の生活する仕方に特徴を与えるのであり、養生生活によってこそ、行動に何らかの全体的な規則を定めることができるのだ。・・・保持すべき自然力、適合すべき自然力との関係において作られる様式・・・ある生活術の全体である」(131頁)


「自己を自己の行為の統御主体として組み立てうる可能性、つまり自己を、節度と時機とを適切に推量するのに適した、巧みで慎重な自己案内役――病気にたいする医者や、暗礁にかこまれた水先案内人や、国事に対応する政治家のような――に仕立てあげる、そうした可能性」(175頁)


「哲学はそれ自体の力によって支配の原理である、というのは哲学こそは、ひとり哲学こそは思考を指導する力をもつからである」(268頁)