反時代的考察 第1編〜第3編/ニーチェ

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480080745/


1873〜4年に出版された作品。白水社の全集のものを読んだ。
時事批評の形を取りつつ、ニーチェの思想のエッセンスが既に盛り込まれている初期の作品。
自惚れを戒め、「近代的なるもの」に対抗する「天才」即「英雄」としての「自己への配慮」を提示している。
特に、第3編「教育者としてのショーペンハウアー」では、ショーペンハウアーへの評価は高い。師という他者として位置づけられており、興味深い。
また、ストア派に対する両義的な態度も、読み取ることができる。


「人間を探すのには、内奥への沈潜と天才への純粋な帰依を果たすことができ、われらの時代から逃れ去ってしまった霊たちを呼び出す勇気と力をもった人間を探すのには。一体どんなランタンが要ることか!」(66頁)


「文体の単純性こそいつの時代でも天才のしるしだったのであり、天才だけが単純に自然のままに素朴に自己を表現する特権をもっている」(81頁)


「言葉は祖先から受け継いでそうして子孫に伝えていく相続物であって、それに対しては、何か聖なるもの、はかり難く尊いもの、犯すべからざるものに対するのと同じように、畏敬の念を抱いてしかるべきだ」(102頁)


「醒めた人たちは不死・・・の道の途上にあって、オリンピアの神々の哄笑か少なくとも崇高な嘲笑へと達する」(131頁)


「誰も哲学的に生きていない。哲学的に生きるというのは、古代人がひとたびストア学派に忠誠を誓った以上どこにいようと何をしようとストア学徒としてふるまったように、単純素朴な男性的節操をもって生きることだ」(154〜5頁)


「成熟せよ、そして現代のかしましい教育の束縛から逃れよ、・・・君の魂をプルタルコスに存分に浸せ。そしてかの英雄たちを信じることによって敢然として君たち自身を信じよ」(169頁)


「真の思想家は、真剣に語るにせよ冗談を言うにせよ、また人間的な洞察を述べるにせよ神のような寛容を見せるにせよ、つねに読者の心を晴れやかにし、爽快にする。真の思想家は気むずかしい様子を見せたり、手をわななかせたり、目をうるませたりしない。その態度は力と勇気を内に秘めた率直な確信にみち、多少騎士風の険しさはあるかもしれないが、いずれにしても勝利者のそれ・・・打ち負かした怪物どもの傍らに立つ勝利者たる神の姿」(229頁)


「英雄的人間・・・の力はわれを忘れることにある。そうした彼にとってわが身を顧みるとは、自分の掲げた目標からわが身を振り返ってそのあいだの隔たりを測ることであり、ぱっとしない炭がらの山のような自分をはるかな足下に見出すことなのである」(258頁)


「あらゆるもののうちに虚妄を追求し、自発的に不幸と一体になった人間には、裏返しの幻滅の奇蹟が訪れてくるかもしれない。いわく言い難いもの、幸福や真理も偶像めいたそのまがい物でしかないようなものが彼に近づく。大地は重力を失い、地上の事件や権力は夢まぼろしと化し、夏の夕べに見られるような清らかな光りが彼の身辺に拡がるのだ。そのさまを目のあたりに見る彼は、いまようやく眠りから醒め、きれぎれに残る夢の切れ端が身の回りに漂うような心地を味わうだろう。その切れ端も吹き払われたとき、まぎれもない昼となるのだ」(259頁)