遺された著作(1872年〜1873年)5編/ニーチェ

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白水社版全集・第1期第2巻に収録。1872〜3年に書かれたもののうち、ある程度まとまった形で残っているもの。
特に、ギリシア的なものやギリシア哲学に対するニーチェの態度が、率直に、かつ詳細に語られていて、興味深い。
ギリシア的なものの核心を「アゴーン(闘争)」と捉える「ギリシアの国家」「ホメロスの技競べ」、ヘラクレイトスに高い評価を与える「真理の情熱について」が、まず目に付く、
また、「ギリシア人の悲劇時代における哲学」では、「プラトン」以前の、ソクラテスまでを、「どのような問題を立て、それにどう答えたか」という観点から、まとめている。なお、パルメニデスの評価が著しく低い点が、少々気になる。
さらに、「言語はメタファーである」「真理は使い古されたメタファーにすぎない」という真理観を提示する「道徳以外の意味における真理と虚偽について」も、面白い。ここには、ウィトゲンシュタインが「確実性の問題」で取り組んだ「確実なもの」との近似性が感じられる。


ヘラクレイトス・・・彼は周りに大気をもたない一個の星である。彼の眼は燃えるように内部へと向けられ、外部へ向かっては死んだように、氷のように、それもただ見かけだけだが、見開かれている。周囲には、彼の誇りの城砦のまぎわにまで、妄想と倒錯の波浪が打ち寄せてくる。嫌悪をもって彼はそれから身をそむける。・・・彼が考えたのは・・・偉大な宇宙の子ゼウスの遊戯、ならびに宇宙崩壊と宇宙発生についての永遠の戯れ事なのであった」(324〜5頁)


「哲学体系とは一つの誤謬であって・・・退けられるべきものであろう。・・・およそ偉大な人間に対し喜びを覚える者は、よしんばその哲学体系が完全に誤謬であるとしても、そのような体系にもやはり喜びを覚えるものなのである。というのは・・・断じて反駁できない一点を、その人独自の気風を、色彩を備えているからである」(375頁)


「彼らは・・・こぞって崇高なまでに孤独である。彼らはみな自分独自の形式を発見し、変身によってこれを限りなく精妙かつ壮大に造形しつづけていくという、古代人に特有の品位(が)ある」(382頁)


「哲学者は世界の全音響を自分の内部に鳴りひびかせ、そのうえでこれを自分の内部から概念の形で取り出そうと努める・・・そして自分というものが大きくかさを増して、大宇宙とついに一体にとなるように感じるのである。その際、他方において彼は世界の反映ともいうべきこの自己を、冷ややかに観察する思慮深さをも失っていない」(393〜4頁)


「永遠に等しい無垢のまま、生成と消滅、建設と破壊をいとなむのは、この世にあってはただ芸術家と小児の遊戯だけである。そして小児と芸術家が遊ぶように、あの永遠に生きている火も遊び、築いてはまた崩すであろう・・・アイオーンは自分を相手に戯れるのである。・・・子供は一度は玩具を投げ出す。しかしまもなく無邪気な気まぐれでそれを取り上げる。だがなにかを築くとなれば、法則に合わせ内なる秩序に則って結んだり、接いだり、形づくったりしている」(411〜2頁)