人間的な、あまりに人間的な 下/ニーチェ

白水社版全集・第1期第7巻に収録。もともと、第1部「さまざまな意見と箴言」は1879年、第2部「漂泊者とその影」は1880年に出版*1されていて、それらを合本したもの。
下巻であるからには当然のことだが、上巻から引き続き登場する要素も多く、連続性が確認できる。
そのほかに、まず第1部では、無責任としての「必然」、「病気」の眼、「あの世」、「ユーモア」といった点が、強調されている。
次に第2部では、タイトルにある「影」、「夜」、「死ぬ」、「アルカディア」、必然の別名としての「一片の運命としての人間」、これらを総括するものとしての「喜び」などが、よく使用されている。
以上のような思想を体現する人物として、「エピクロス」にたびたび言及している。また、「ソクラテス」や「キュニコス派」への高い評価も注目すべきところだろう。



「自分のために書く  思慮ある著作家は自分自身の後世以外のどんな後世のためにも書きはしない、すなわち、自分の老年のために書くのであって、それはその年齢になってもなお自分というものを楽しむためである」(1部167番)


「欠けている耳  『常に責任をなすりつけているあいだは、まだ賤民なのである。常に自分自身にだけ責任を負わせるなら、叡智への途上にある。しかし賢者は自分にも他人にも、誰にも責任がないと見る。』 こういったのは誰か。 1800年前のエピクテトスである。 ひとはこの言葉を聞いたが、忘れてしまった。 いや、そうではない・・・ひとはそれを聞く耳を、エピクテトスの耳を持たなかった。それで彼は自分の耳にそう囁いたのか。・・・叡智とは孤独な者が雑踏する広場で自分と交わす内緒話である」(1部386番)


「高貴な魂の印  高貴な魂とはこのうえなく飛翔できる魂なのではなく、高まることも落下することもほとんどないが、常にいっそう自由に広がり、一段と光が遍照する外気と高みのなかに留まっている魂のことである」(1部397番)


ソクラテス  ・・・きわめて単純で不滅な媒介者たる賢人ソクラテス・・・根本的には、理性と習慣によって確固不動となっており、すべて生と自己の自我との喜びを指向する生の賢人・・・快活な種類のまじめさと、人間の魂の最良の状態を作り上げるいたずらっ気に満ち満ちた知恵」(2部86番)


「真昼時に  ・・・彼の身辺は静かになり、さまざまな声は遠く、ますます遠くなり、陽光は彼の身には斜めに差す。・・・彼は何事も欲しないし、何事にも煩わされないし、彼の心臓は止まっているが、眼だけが生きている・・・目覚めた眼のままの死の状態である。・・・彼の見るかぎり、一切は・・・光の網に織り込まれていて、いわばそのなかに埋葬されている。彼は眺めながら身の幸福を感じる」(2部308番)


「良き3つのもの  静寂・偉大さ・陽光 この3つのものは、1人の思想家が願望し自分からも要求する一切のもの・・・を包括している。・・・第1に精神を昂揚させる思想が、第2に安静にさせる思想が、第3に明るくする思想が対応する、 第4のものは、3つの特性すべてに関与する思想であって、そのなかでは一切の地上的なものが浄化される。それは、偉大な、喜びの三位一体が支配する国である」(2部332番)

*1:実際に出版されたのは79年の年末