華やぐ知慧/ニーチェ

白水社版全集・第1期第10巻に収録。1882年に出版。
全体の構成は、1887年の再版の際に書き足された「序文」、思想のエッセンスを詩として表現した「序曲」、「曙光」から続く「力」の観点から人間のタイプを描く「第1編」、音楽や言葉といったテーマから芸術家としての哲学者へ至る「第2編」、キリスト教の影としての「近代的なるもの」批判を行う「第3編」、最初のアフォリズムで「運命愛」が登場し、最後で「ツァラトゥストラ」冒頭が記述される「第4編・聖なる1月」、再版の際に追加された、これまでの総括を行う「第5編・われら恐いもの知らず」、思想をもう1度詩として表現した「付編・プリンツ・フォーゲルフライの歌」となっている。
内容としては、肯定的な要素をまとめ上げるものとしての「舞踏」や「ディオニュソス的ペシミズム」、運命愛につながる「一回性」などを挙げることができる。また、「ニヒリズム」という言葉も登場する。
再版に際して、「序文」に加えて本編を付け足しているのは、本作のみ。ニーチェにとっても、重要な位置にある作品なのだと思う。


「新しき年に  ・・・事物における必然的なものを美として見ることを、私はもっともっと学びたいと思う、――このようにして私は、事物を美しくする者の一人となるであろう。運命愛、これを、これからの私の愛としよう! 私は醜いものに対して、戦いをいどむまい。私は責めまい。私は責める者をも責めまい。眼をそむけるということをわが唯一の否定としよう! これを要するに、私はいつかは、ひたすらの肯定者になりたいと思うのだ!」(276番)


「苦悩への意志と同情者たち  ・・・お前自身を生かしうるために、隠れて生きよ! お前の時代に最も重大と思われることを知らずに生きよ! お前と今日のあいだに少なくとも三世紀の皮膚を置け! そして今日の叫喚、戦争と革命の騒音が、ほんの呟きぐらいにしか聞こえないようにせよ! ・・・お前の友人のみを助けよ。しかもただお前がお前自身を助けるような仕方でのみ。――私はかれらを、より勇気に充ち、より忍耐強く、より単純に、より愉快にしたいと思う!」(338番)


「なぜわれわれはエピクロス派と見えるか  ・・・事物の疑問符的性格を簡単に見逃すことをしない、ほとんどエピクロス的ともいうべき認識の傾向が育成されていく。・・・何が何でも確実性を求めて、やみくもに突進するような衝動を喰い止める、こうした軽快な手綱さばき、狂奔する暴れ馬を乗りこなす騎者たるものの自制がわれわれの誇りなのである」(375番)