なぜ生きる

大学内を移動中、呼び止められた。「なぜ生きる」をテーマにした講演会をサークルでやっているので、よければ参加しないか、と。
そこで、1.「なぜ生きる」が「生きる目的」のことか、「生きる理由」のことか、あるいは「生きることの価値」のことか、何を指しているのか不明である、2.しかし、いずれにせよ、生きることに目的も理由も価値もないのだよ、3.たとえそのようなものがあったとしても、必要ない、という旨の答弁を行った。
さらに、4.いや、むしろ、「何の理由もなく存在している」という状況そのものこそが、実に喜ばしい事ではないのか、と付言した。
すると、「あぁ、そうですか」と素っ気ない応答があり、私は解放された。


ところで、「私は生物である」ということから、何か言えないだろうか。ふとそう思った。