人間存在と時間の謎―ハイデガーの時間論を越えて/塚本正明

http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32134878


若田教授から。タイトル通り、「時間」について、ハイデガーを土台に考察している。ただし、参照されるのは主に「前期ハイデガー」である。批判的に「前期」を踏まえつつ、「後期」は少し言及している程度となっている。
やはり「現在」というものが、通常とは異なった相貌を持っている事、これがハイデガーにおいても重要なのだが、その点を「前期」では、「将来」性から特徴付けようとしているようだ。それによって、「前期」は「人間中心」性から脱却し尽くしておらず、また時間の「全体」性への言及も洞察程度に止まっている、というもの。
私としては、この本全体をストア派的に読み解くことが可能だと思った。もう最近はこれば(以下略)


「現存在がそもそも存在している『そこ』としての場、それが『現』ということである。現存在としての人間存在とは、たんに『存在するもの』であるだけでなく、『そこ』に『現』に存在していること、そのことである」(4頁)


「先駆的覚悟性という現象は・・・いまだないところの可能性へ先駆すること、そのことのうちで、すでに将来的な時間性格を現しているといえる」(23頁)


ハイデガーの瞬間とは・・・現存在が『瞬間的実存』となる、まさにその出来事の別名でもあって・・・日常的に自明化した時間性からわれわれを覚醒させて、その惰性的連続を打破するような時間契機なのであり、そうした覚醒と打破という出来事を意味する極限的時間現象」(36頁)


「永遠と時間との交差的融合が『瞬間の持続』である。・・・自己集中的な解脱現象である。・・・自己への集中化と宇宙世界への自己解放化との交差的融合現象なのである」(66〜67頁)


「『宇宙世界』の持続的な不断の現在性は・・・後期ハイデガーの用語を援用すれば、『性起する』・・・それもあくまで現在として性起するという、一種の回帰的な持続の性格を示すと考えるべきである」(80頁)