真理とディスクール パレーシア講義/ミシェル・フーコー

http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480847126/


若田教授から。ニーチェ同様、フーコーについても、断片的に読んだ事があるのみで、一冊を通して読んだ事はなかった。というわけで、1冊目は、最晩年のアメリカでの講義。
「真理」を「真理ゲーム」と捉え、その成り立ちを追いかけるもの。言うまでもなく、ウィトゲンシュタイン言語ゲーム論に依拠している。実際に「真理」という言語ゲームをやってみた、といったところか。主に取り上げるのは、ギリシア・ローマの哲学者である。
ここでも、「自己への配慮」が一つのキーポイントになっている。そして、私は、フーコーのいう「自己への配慮」とスピノザの目指す倫理(=徳)は、よく似ているように思う。
講義ということもあり、非常に読みやすく、分かりやすい。


「パレーシアは(中略)自分の生命とある特有の関係を結び、批判することで、自分や他者とある特有の関係を結び(中略)、自由と義務を通じて、道徳的な法則とある特有の関係を結ぶ言語活動です」(22頁)


ソクラテスの役割は、(中略)『試金石』という言葉で描かれています。試金石は、ある人の生き方と、その人の生き方の知的な原則、すなわちロゴスが調和しているかどうかを『試す』のです」(142頁)


セネカの過ちは、ある規約や法律に違反したことにあるのではありません。それよりも行動の規則と(すでにセネカが受け入れ、確認し、知っている規則です)、特定の状況における実際のふるまいとを調和させようとしたのに、それが成功しなかったか、効率的でなかったことが、過ちとされるのです」(221頁)