曙光/ニーチェ

白水社版全集・第1期第8巻に収録。1881年に出版。
構成としては、前作「人間的な」と同じになっている。
まず、「道徳」や「共同体」、キリスト教とその中核としての「同情」「利他主義」、それらを受け継ぐ「ドイツ的」「近代的」なものが批判され、別なふうに生きることが目指される。
次に、そのためのヒントとして、「ギリシア精神」が持ち出され、最後に「精神の空を翔けるもの」というタイプが提示されている。
肯定的な象徴としては、「妊娠」*1、「ソクラテス」「エピクテトス」、「悪人」「犯罪者」*2、「鳥」などが使用されている。
また、「力の感情」「力の魔物」「力の欲望」といった概念が初めて登場する。後の「力への意志」の先駆けといえそうだ。
そのほか、「悲劇」や、「ディオニュソス」と「アポロン」についても取り上げ直されていて、ニーチェ哲学全体を考える上でも、興味深い1冊である。


ストア派的  ストア派が儀式めいた生きざまを自己自身に課して、窮屈な思いをするとき、ストア派の快活がある。彼はそのとき支配者として自己を享楽しているのだ」(251番)


「思想家の交わり  生成の大海原のまっただ中で、われわれ、冒険家にして渡り鳥のわれわれは、小舟ほどの大きさの離れ島の上で眼をさまし、しばしあたりを見まわす。できるかぎりすばやく、好奇心にみちて。なぜなら、いまにも風が来てわれわれを吹き飛ばすか、あるいは波浪が小島を洗い去って、われわれの姿も消えてしまうかもしれないから!しかし、ここ、このささやかな場所で、われわれは他の渡り鳥とめぐりあい、また以前の鳥たちのことを聞く、・・・楽しいはばたきとさえずりを交わして、認識と推察の貴重な一瞬を過ごし、こうして、大海の上に、大海そのものにも劣らぬ誇りにみちて、精神の冒険の旅にのぼる」(314番)


「奴隷と理想主義  エピクテトス的な人間は、たしかに理想を追って努力している今日の人間の趣味にはあわないだろう。彼の本性のたえまのない緊張、内部へ向けられた倦むことを知らない視線、・・・その寡黙、慎重さ、打解けなさ、さらには沈黙ないしは片言。すべてこれ峻厳なる勇気の証である。・・・エピクテトス的人間は・・・誇示と自慢を嫌う。・・・他人の邪魔になることを欲しない。・・・微笑することができる!・・・彼には神に対する不安がまったくない・・・厳正に理性を信じる・・・エピクテトスは希望を描かないし、もっとも貴重なものが他から贈られることも肯じない。・・・それを断固、手中に握っている」(546番)


「四主徳  われわれ同士および常日頃われわれの友人であるものに対しては誠実であり、敵に対しては勇敢であり、打ち負かしたものに対しては寛大であり、いつも――慇懃であれ」(556番)


「孤独な人々に  われわれが自己対話の際にも、・・・相手の面目を重んじないならば、われわれは、はしたない人間だ」(569番)

*1:文字通りの意味と比喩としての両方を指す

*2:「人間的な」における「インモラリストとしての哲人」のこと