偶像の黄昏/ニーチェ

白水社版全集・第2期第4巻に収録。1888年の作品。
晩年の、ニーチェが著述を行った最後の年の作品のため、非常に激しい言葉による批判が行われている。具体的には、ソクラテスプラトンキリスト教から、ショーペンハウアーに至る哲学者や、ドイツ音楽やビスマルクに象徴される「近代的なるもの」までを、「デカダンス」というタイプとしてまとめ、徹底的に否定している。
その一環として、「ヘラクレイトス」「キュニコス派」「ゲーテ」「スピノザ」といった、これまで、どちらかといえば肯定的に扱ってきた人々にも留保をつけ、否定的見解を表明している。
一方で、肯定的なものとして、「人間的な」以来の、変わらない要素が登場している。例えば、「快活」「知恵」「勇気」「閑暇」「孤独」「自足」「笑い」「距離のパトス」「舞踏」「必然=一個の運命としての人間」など。
以上のことから、この作品は、これまでのニーチェの歩みの「要約」「まとめ」になっている。最初に読むのではなく、いくつか他の著作を読んだ後に読むのがふさわしいと思った。


「今日最も良く笑う者が、最後にも笑う者である」(箴言と矢・43)


「人は必然であり、一片の運命であり、全体に属し、全体の中にある」(四つの大きな錯誤・8)


「考えることを学ぶこと、・・・考えることは一種の舞踏として、舞踏が修業した芸であろうとするのと同じように、年季を入れる必要がある・・・精神方面での軽やかな足取り・・・ニュアンスを感じる指・・・高貴な教育からは、あらゆる形式における舞踏を、足により、概念により、言葉により舞踏する能力を、除外することは出来ない。加えて、ペンにより舞踏する能力が必要であることも――書くことを学ばねばならないとはこのことだが――」(ドイツ人に欠けているもの・7)


「人間と人間、身分と身分との間の裂け目、タイプの多様性、自己であろうとする、かつ自己を際立たせようとする意志――要するに私が距離のパトスと呼ぶところのもの」(ある反時代的人間の散歩・37)