若田さんと

フーコー「主体の解釈学」読書会 第5回

・治療・矯正・解放としての自己への配慮 いまだかつてそうであったことのないものになること 美徳を学ぶ=悪徳を忘れること 自己に奴隷のように仕える=自己を礼拝する

フーコー「主体の解釈学」読書会 第4回

・自己への配慮と自己認識 プラトン的契機 自己への配慮→自己認識→神的なものの認識 自己への配慮=正義への配慮 ヘレニズム期への移行 少年期から一生涯へ みずからを大衆とは別のものにする=エリートのエートス

フーコー「主体の解釈学」読書会 第3回

・「自己」への「配慮」 自己=魂=気息=プシュケー 単独的・超越的立場→関係、態度、使用する者 自己の二重化:「わたし」は世界に2人存在する 配慮=自己の技術 浄化、魂の集中、その場にいるままでの自己への退却など

フーコー「主体の解釈学」読書会 第2回

・ソクラテス=プラトン契機 他者を統治するためには自己への配慮が必要 円環構造=政治→他者の統治→自己の陶冶→自己への配慮→政治 スピノザ「知性改善論」における霊性*1 *1:フーコーの指摘とは違って、私は、スピノザの場合の「改善」はフーコーの言う「陶…

フーコー「主体の解釈学」読書会 第1回

・自己への配慮=要塞に立てこもるように自分自身に向かうこと

「倫理学講話」読書会

ウィトゲンシュタインの「倫理学講話」と、「ウィトゲンシュタインとウィーン学団」の中から「ハイデガー」、「反フッサール」、「価値」と「宗教」の項を読む。 その後、「論考」も踏まえつつ、語りえぬものとしての「倫理」について考察する。前から感じて…

ハイデガー「ニーチェ」読書会 第27回

今回で読了。 ・永遠=瞬間=自分であることを思惟すること ピュシス=出現において現前し、主宰するもの 生成者は存在的に生成する=存在者は生成的に存在する 運命愛=必然性への意志 すべてのものがどうでもよい→すべては同じである→どうでもよいものはひ…

ハイデガー「ニーチェ」読書会 第26回

・世界の全体性格はカオスである 自然の脱・神格化→人間の自然化→世界の『人間化』 カオス=おのずから開けてくる深淵=ホライズン カオスの根本性格=必然性 言語=事物を表示するのではなく、世界の真理を響き立たせるもの イウベカラザルモノとしての世界

ハイデガー「ニーチェ」読書会 第25回

・世界の全体としてのアイオーン 時間を通じると、生の歩みそのものとなるもの 自然の脱・人間化→経験の血肉化→孤独な者の最後の幸福→永遠の円環 午・前と午・後の衝突としての正午=永遠

ハイデガー「ニーチェ」読書会 第24回

・瞬間は永遠に等しい 全面化する「今」=もっとも無常にして、もっとも充実したもの 無限に続く今ではなく、止まる今でもない 必然性=唯一性=ただ「これ」あるのみ 単体としての運命 世界はある意味において「庭園」である 鷲=誇り=すべてのものを均等…

ハイデガー「ニーチェ」読書会 第23回

・幻影と謎としての真理 本来の自分で「ある」ことに「なる」軌道の発端 愛する軽蔑を学ぶということ 悲劇的なもの=極端な否定としての最高の肯定

ハイデガー「ニーチェ」読書会 第22回

第2部「同じものの永遠回帰」、開始。 ・根本思想としての永遠回帰 最大の重し=鎖は神が命ずる時に自ずから抜け落ちる 最後まで彼を抱きしめたままの輪=世界=神 本来化としての個別化=自己が自己において自性を授かること 自分に出会うもの、自分が招か…

若田研究室に行く 第78回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第21回。今回から、テキストは創文社の全集のものに変更。 第1部「芸術としての力への意志」、読了。 ・感性の新解釈〜「プラトニズム」逆転 感性の精神化と多様化を促し、精神の最善のものを感性に与えること 存在者の…

若田研究室に行く 第77回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第20回。 ・美と真理の関係 存在とは、心が自分の糧とするもの、人間に存在者との関係を授けるもの 人間が本質上、はじめからそこに結びつけられ、そこへ超脱させられているところのもの 感覚によってはとらえられない 人…

若田研究室に行く 第76回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第19回。 ・芸術と真理の関係は、離間ではなく、格差である(プラトンの場合) 多様な個物と統一的容姿の一体性 イデアから存在を引き出す→エイドス 個物はイデアを現在させるが、暗く歪める イデアは、根拠なくひとつし…

若田研究室に行く 第75回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第18回。 ・芸術と真理の離間 ニーチェの直観の一つ:世界は唯一である*1 技術=対処の心構え=存在者に対処する専念の覚悟の節度=配慮 「政治的な」ものは「美学的な」ものであり、「理論的な」ものである フーコー「自…

若田研究室に行く 第74回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第17回。 ・認識としての「理念」 事物を心の眼によって看取すること 『ここにあるこれ』を自分の前に立てること 「理念」と「実践」は根本的に同時に変遷する ・偉大な様式=偉大な政治 自分の不幸にも自分の幸福にも主…

若田研究室に行く 第73回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第16回。 ・真なるものの本質が真理である 真理という言葉の二義性→普遍性と個別性*1 言語ゲームを行うハイデガー 辞典的意味は現存在を凍結し、言語を死なせる*2 真理の本質的変動性 相対主義→真理は人の数だけ、その都…

若田研究室に行く 第72回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第15回。 ・偉大な様式=生起する物事がおのずから形成する法則となっていること 本質的現実性となって、評価しうるのは、そこにおいてのみ 美とは少数者のもの

若田研究室に行く 第71回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第14回。 ・形式=陶酔=美 存在者の状態の全体を同じ広さで名ざしているもの 理想化=主要な相貌を極度に浮き彫りにすること 陶酔とはメタモルフォーゼである

若田研究室に行く 第70回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第13回。 ・美の根拠=自由な好意 あるがままの姿でその通りに開放し、その物事自身として迎え入れる 『これは美しい』というのは、一種の肯定である カント哲学における「反省の歓び」=気づくこと 永遠の相の下に世界を…

若田研究室に行く 第69回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第12回。 ・美的状態=身心的なものの未分にして不可分の統一体 生けるもの=人間の生ける「自然」 創造的であること=受容的であること ・陶酔=祝祭 力の昂揚と充溢の感情 自分自身のもとで、事物=自分自身でないもの…

若田研究室に行く 第68回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第11回。久しぶりだ。 ・趣味=存在者と自分とに向かい立っている様態へ立ち帰る傾向 人間が物事にふれて感じる様態 ・ニーチェの求めたもの=デュオニソス的なもの*1の抑制と造形 歩行と舞踊=節度と歩調 *1:=全体の中…

ネグリとスピノザ

教授によると、ネグリには「スピノザ」という論文集があるらしい。が、図書館を調べても該当文献がないので、どうやら翻訳されていないのかな・・・?

若田研究室に行く 第67回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第10回。「神学・政治論」の報告をしていたため、あまり進まず。 ・自然(ピュシス)=存在者そのものと存在者の全体 ギリシア人にとっての存在者=おのずから無為にして萌えあがり現われ来たり、そして内に帰り籠も り過…

若田研究室に行く 第66回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第9回。 ・芸術はニヒリズムに対する反抗運動である 芸術家はまた哲学者である 同情・謙遜、卑下は「徳」ではない*1 芸術を考察するのは美学である ギリシアにおいては、論理学と倫理学と美学は一体となって「知」を形成し…

若田研究室に行く 第65回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第8回。 ・芸術家とは存在のことであり*1、生そのものである*2 自己産出する芸術作品としての世界 奇跡があるとすれば、それは世界が現にあるということそのものである*3 *1:ということは生成であり *2:ハイデガーはさらに…

若田研究室に行く 第64回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第7回。 ・より強くなろうとする=メタモルフォーゼ ・アリストテレスの言う「完成態」は必然性と同義であり、ニーチェの「力」のことである ・真理(アレーテイア)とは、開かれており、何も隠されてはいないことである …

若田研究室に行く 第63回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第6回。 喜びについてのニーチェの定義(のようなもの)が「力への意志」から引用されていたが、それがほぼそのままスピノザのそれであり、その箇所のハイデガーの説明もやはりスピノザのそれ*1であった。にもかかわらず、…

若田研究室に行く 第62回

ハイデガーの「ニーチェ」読書会、第5回。 力への意志とは、特に人間にとってのそれとは、感情であり、それはある状態からある状態への変化らしい。そして、それこそが生成であるようだ。一種のプロセス、と言えるか。ところで、このあたりの記述は、スピノ…